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去年は2,000万円、今年は1,200万円!?

金融庁が昨年2019年6月3日に公表した金融審議会/市場ワーキング・グループ報告書『高齢社会における資産形成・管理』は、「(前略)収入と支出の差である不足額約5万円が毎月発生する場合には、20年で約1,300万円、30年で約2,000万円の取崩しが必要になる」と記載された箇所が、マスメディアの報道で「公的年金だけでは老後に2,000万円不足する」と曲解されて報じられたために大騒動となったのは、記憶に新しいところです。
ところで、この2,000万円という金額、そんなに大騒ぎしなければならないほど絶対的なものなのでしょうか?

■「2,000万円」の根拠とは
そもそもこの「2,000万円」という数値は、総務省統計局「家計調査年報(家計収支編)」における2017年の高齢夫婦無職世帯(夫65歳以上・妻60歳以上の夫婦のみの無職世帯)の家計収支を根拠としています。収入金額が月209,198円に対し支出額は月263,717円ですから月次の赤字額は54,519円となり、当該赤字が30年間発生し続けるという前提(54,519円×12月×30年=1,963万円)で推計されたものです。
つまり、「公的年金とは別に2,000万円の老後資産が必要」という主張は、平均値に基づく赤字額が30年間継続するという非現実的な前提に基づいて算出されたものなのです。にもかかわらず、2,000万円という推計値を絶対視して、さも全国民の老後資金が2,000万円不足しているかの如く主張するのは、およそ本質を踏まえていない的外れな見解だと言わざるを得ません。

■「2,000万円」は年によって変動する
また、2,000万円という金額は、2017年の家計調査(家計収支編)の数値に基づいています。しかし、高齢夫婦無職世帯の赤字額は、決して一定不変のものではありません。過去12年間の推移をみると、30年間の赤字額の累積は最小で1,200万円弱、最大で2,200万円超と、結構な幅でぶれている様子がうかがえます。最新(2019年)の統計では、30年分の赤字額の累積は約1,198万円(=33,269円×12月×30年)と、2,000万円の約6割の水準まで減少しています。
もし金融庁のレポートが今年公開されていたら、「老後2,000万円問題」ではなく「老後1,200万円問題」と報道されていたかもしれませんが、個人的には、2,000万円というキリの良い数値だったからこそ報道関係者の目に留まってしまい、センセーショナルな報道につながったのではないかと考えます。

<高齢夫婦無職世帯の家計収支の推移>
2008年 (1)226,043円 (2)275,430円 (3)▲49,388円 (4)▲1,778万円
2009年 (1)224,154円 (2)266,279円 (3)▲42,125円 (4)▲1,517万円
2010年 (1)223,757円 (2)264,948円 (3)▲41,191円 (4)▲1,483万円
2011年 (1)221,936円 (2)264,886円 (3)▲42,950円 (4)▲1,546万円
2012年 (1)218,722円 (2)270,395円 (3)▲51,674円 (4)▲1,860万円
2013年 (1)214,863円 (2)272,455円 (3)▲57,592円 (4)▲2,073万円
2014年 (1)207,347円 (2)268,907円 (3)▲61,560円 (4)▲2,216万円
2015年 (1)213,379円 (2)275,706円 (3)▲62,326円 (4)▲2,244万円
2016年 (1)212,835円 (2)267,546円 (3)▲54,711円 (4)▲1,970万円
2017年 (1)209,198円 (2)263,717円 (3)▲54,519円 (4)▲1,963万円
2018年 (1)222,834円 (2)264,707円 (3)▲41,873円 (4)▲1,507万円
2019年 (1)237,659円 (2)270,929円 (3)▲33,269円 (4)▲1,198万円

※1 数値の根拠は以下の通り
  (1)実収入額(月次)
  (2)実支出額(月次)
  (3)収支(=(1)-(2))
  (4)30年分の収支(=(3)×12月×30年)
※2 集計の関係上、各項目の合計値が必ずしも一致しない場合がある
(出所)総務省統計局「家計調査年報(家計収支編)」各年版を基に筆者作成


■支出額は加齢とともに減少する
家計調査(家計収支編)では、高齢夫婦無職世帯(夫65歳以上・妻60歳以上の夫婦のみの無職世帯)あるいは高齢単身無職世帯(60歳以上の単身無職世帯)の動向ばかりが取り上げられます。しかし同調査では、高齢者世帯について年齢階級別(無職世帯:60歳から85歳以上まで6段階、勤労者世帯:60歳から70歳以上まで3段階)の動向も調査・集計しています。
無職高齢者世帯(2人以上の世帯)の家計収支を年齢階級別にみると、収支額(赤字)は加齢とともに縮小する傾向にあります。これは、実収入は年齢によってさほど差は生じないものの、実支出は加齢とともに食費・交通費・非消費支出(直接税・社会保険料など)が少なくなる傾向にあるためです。

<高齢者世帯(無職世帯)の家計収支(2019年)>
60~64歳 (1)188,643円 (2)305,828円 (3)▲117,184円
65~69歳 (1)259,448円 (2)308,134円 (3)▲48,686円
70~74歳 (1)248,056円 (2)289,060円 (3)▲41,004円
75~79歳 (1)233,173円 (2)255,542円 (3)▲22,369円
80~84歳 (1)240,943円 (2)249,723円 (3)▲8,780円
85歳以上 (1)248,374円 (2)250,090円 (3)▲1,716円

※1 数値の根拠は以下の通り
  (1)実収入額(月次)
  (2)実支出額(月次)
  (3)収支(=(1)-(2))
※2 集計の関係上、各項目の合計値が必ずしも一致しない場合がある。
(出所)総務省統計局「家計調査年報(家計収支編)」2019年版を基に筆者作成


■働けば家計収支は劇的に改善する
さらに、勤労高齢者世帯(2人以上の世帯)の家計収支を年齢階級別にみると、家計収支はどの年齢階級においても黒字となっています。つまり、家計収支が赤字になるのを避けたいのであれば、働けるうちは働いて勤め先収入(給与等)の確保が有効であるとわかります。逆に、定年後は一切働かずにセカンドライフを満喫したいのであれば、現役時に相応の老後資金を準備しておく必要があります。

<高齢者世帯(勤労者世帯)の家計収支(2019年)>
60~64歳 (1)468,128円 (2)399,877円 (3)+68,251円
65~69歳 (1)446,699円 (2)362,445円 (3)+84,254円
70歳以上 (1)401,548円 (2)317,879円 (3)+83,669円

※1 数値の根拠は以下の通り
  (1)実収入額(月次)
  (2)実支出額(月次)
  (3)収支(=(1)-(2))
※2 集計の関係上、各項目の合計値が必ずしも一致しない場合がある
(出所)総務省統計局「家計調査年報(家計収支編)」2019年版を基に筆者作成


このように、高齢者世帯の家計収支は、年齢や就労状況によって大きく変わるほか、個々の世帯の置かれた状況(生活習慣、住宅の有無etc)によっても著しく異なるため、唯一絶対の正解はありません。にもかかわらず、統計上の平均値(あるいは都合の良い数値)を持ち出して赤字あるいは不足額の存在を強調(または演出)し、老後不安や老後破産を煽るメディア報道や金融商品の広告は後を絶ちません。統計上の平均値だけで判断することは、一定の目安にはなるものの、その結果の過信は禁物です。
谷内 陽一(たにうち よういち)
社会保険労務士
証券アナリスト(CMA)
1級DCプランナー、DCアドバイザー
 
公開日: 2020年07月16日 10:00