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所得税の課税最低限160万円引き上げ、実態は骨抜きだらけ

先の衆院選で話題となった「年収160万円の壁」。長年続いた「年収103万円の壁(※1)」を約30年ぶりに見直し、課税最低限(所得税がかかり始める年収)を160万円まで引き上げる措置が決まりました。これは一見、低所得の勤労者に朗報であり、「パートで年収160万円まで稼いでも税金ゼロになる!」という前進のように思えます。しかし、この改正の中身をよく見ると中間層(年収200~650万円程度)にとっては、皆さんが思っている以上に骨抜き(※2)にされています。

●「103万円の壁」見直しの経緯
まず背景から整理します。日本の所得税では、給与所得者の場合「給与所得控除」という経費が掛かったものとしてみなしてもらえます。次に、16種類の「所得控除」という広義の経費が差し引かれますが、その16種類の中で誰でも受けられるのが「基礎控除」です。つまり、給与所得者であれば全員、「給与所得控除」と「基礎控除」は受けられ、差し引いた残りに税金がかかります。

これまでは給与所得控除の最低額55万円+基礎控除48万円=103万円までが非課税枠となり、年収103万円を超えると超えた分に5%、10%、20%…の所得税(※3)が課されてきました。このためパート収入などが103万円を超えると手取りが目減りする(と思いこまれている (※4))「103万円の壁」と呼ばれる現象が生じていたのです。

政府・与党もこの問題に対応すべく、2025年度税制改正で課税最低限を引き上げる方針を示しました。当初、与党案は年収123万円への引き上げでしたが、その前段階で自民・公明両党と国民民主党の三党間で「課税最低限を年収178万円を目指して引き上げる」との合意が交わされていました。国会提出時に自民党政権は123万円案を示したものの、低すぎるとの批判を受けて修正協議が行われ、最終的に年収200万円以下の層について課税最低限を160万円に引き上げることで決着しました。こうして生まれたのが「年収160万円の壁」です。

●「年収160万円非課税」は見かけだけ?
年収160万円まで非課税になると聞くと画期的な緩和策に思えます。しかしその恩恵は誰にでもフルに及ぶわけではありません。今回の改正には3つの骨抜きポイントがあります。
1. 中間層は給与所得控除の恩恵ゼロ
「給与所得控除」の最低額を55万円→65万円に増やしたとは言っても、その恩恵が受けられるのは年収190万円以下だけ。最低保障額が従来55万円だったのを65万円に引き上げましたが、これは年収約190万円以下の場合にしか効きません。それ以上の年収層は改正前と同額で、最低額引き上げの恩恵は全くありません。

2. 中間層の基礎控除は37万円も上乗せされない
基礎控除を48万円→58万円にし、さらに最大37万円上乗せして「160万円の壁」とし、178万円の壁に近づけたように見せているが、フルに適用されるのは給与所得132万円(年収約192万円)以下だけです。政府は全員の基礎控除をまず恒久的に10万円増額し、58万円にしました。その上で課税最低限を160万円にするため、低所得層には特例で基礎控除をさらに加算しました。具体的には、年収192万円以下の人には基礎控除に+37万円(計95万円)を与え、給与所得控除65万円と合わせて95+65=160万円までは非課税としたのです。
しかしこの95万円の基礎控除が適用されるのは低所得層のみ。年収が192万円を超えると加算額は段階的に縮小し、年収が上がるにつれて30万円、10万円、5万円と減少していき、最終的には年収850万円超で加算ゼロ、通常の58万円に戻ります。つまり、額面通りの「160万円まで非課税」の恩恵を受けられるのは年収192万円程度までの人に限られます。

3. 中間層の控除増額は一瞬で終わる
さらに、この中間層(年収200万円超~650万円程度)への控除増額はわずか2年間の限定で、令和9年(2027年)以降は打ち切られます。恒久措置なのは年収192万円以下だけ。中間層向け加算(+30万円、+10万円、+5万円)は2025~2026年の2年間だけの時限措置です。令和9年以降の基礎控除は一律58万円、非課税は113万円(103万円+基礎控除を恒久的に10万円増額)まで逆戻りしてしまう有様です。わずか2年間だけ減税の恩恵を与えて「やっぱり終了」という設計であり、恒久的に160万円まで非課税なのは年収約192万円以下の層だけというのが実情です。

●多くの勤労者には「控除10万円増」=税負担数千円減に過ぎない
一般勤労世帯(※5)について整理すると、今回の見直しで彼らに共通して適用される恒久減税は基礎控除が一律10万円増えたことくらいです。課税所得が10万円減るということは、所得税率が5%の人で年間5千円、10%なら1万円、20%でも2万円の減税効果にしかなりません(※6)。しかも、所得税率20%が適用される世帯は限られていて、年収は高くて住宅ローンのない単独世帯や、共働き夫婦です。多くは5%、10%が大半で、住宅ローン減税を受けている人はそもそも所得税額がゼロという世帯も少なくありません。政府与党は「1.2兆円規模、納税者1人あたり2~4万円前後の減税になる」とアピールしていますが、大半の人にとっては年数千円程度の負担減にとどまります。
なお、今回の「160万円の壁」はあくまで所得税に関する話です。住民税には「110万円の壁」と呼ばれる基準があり、住民税は引き続き低所得でも課される場合があります。

●恩恵を受けるのは低所得層と特定扶養控除適用世帯のみ
このように実効性のある恩恵を受けられる層はごく一部です。具体的には年収約190万円までの低所得世帯と、もう一つはアルバイト収入のある特定扶養親族(大学生など)を抱える世帯です。前者については、非課税枠拡大で年間1~2万円前後の所得税が免除されるメリットがあります。後者については、改正により特定扶養親族(※7)に係る扶養控除の収入要件が年収150万円まで緩和されました。従来、学生アルバイト収入が年103万円を超えると親の扶養控除が受けられなくなる問題がありましたが、これが「150万円の壁」まで引き上げられた形です。

つまり、子どもがアルバイトで年150万円程度まで稼いでも親の扶養控除(特定扶養親族の場合63万円)が受けられるため、家計全体では減税メリットがあります。さらに150万円を超えても188万円になるまでは「特定親族特別控除」が新設され、親が受けられる所得控除が徐々に引き下げられるように緩和されました。該当する世帯にとってはとても価値ある改正ですが、昨今は子のいる世帯が3分の1しかなく、19~22歳までの子を持つ親はさらに限定的です。裏を返せば、それ以外の一般的な世帯では今回の改正の恩恵はごく限定的なのです。

●骨抜きにされているかどうかを見抜けるようになろう
「年収160万円の壁」への引き上げは見かけほど画期的な減税策ではなく、相当程度が骨抜きにされた妥協策です。低所得層支援として不十分とまでは言いませんが、中間層への配慮は一時的な措置にとどまり、わずかな負担減にしかなりません。物価高騰や賃金停滞を踏まえれば、本来必要なのは恒久的かつ全体的な課税最低限の引き上げでしょう。具体的には(1)年収190万円以上の給与所得控除も一律10万円上乗せし、(2)基礎控除も全員一律で37万円を恒久的に増額すれば、年収に関わらず実質的に「160万円の壁」という言葉からイメージされる所得拡大がようやく実現します。
参院選を控える中、有権者は税制改正が骨抜きにされているかどうか見抜ける力を養い、言葉のイメージだけで流されないようにしたいものです。


(※1)給与所得者が年収103万円以下なら所得税がかからない基準
(※2)実質的効果をそいでいる点
(※3)所得税率は最高45%だが、一般勤労者は20%を超えることはない。また、5%または10%がほとんどで、20%の税率が適用される人は給与所得者の少数
(※4)稼いだ以上に税金(所得税、住民税)が課されることはないため、手取りが目減りすることはない
(※5)年収1,000万円以下の多くの会社員・公務員・団体職員
(※6)復興特別所得税2.1%は軽微のため省略
(※7)19~22歳の大学生など

塚原 哲(つかはら さとし)

CFP ファイナンシャル・プランナー

生活経済研究所®長野 所長

公開日: 2025年05月15日 10:00